2026/01/30 06:00
「カッコいい」とは何か?
少し前から考えている…
自分が作っている木製のスーツアクセサリーを「カッコいい」と思っているので、少なからずお客さんには「カッコいい」を届けようとしている。
ただ、「カッコいい」は人によって違う。
僕自身の中にも1つではない。色んな「カッコいい」がある。
それでも、抽象度を上げれば何か共通する部分があるのではないか…
共通する「カッコよさ」みたいなものを言葉にして伝えることができれば、もう少し自分の作品に興味を持ってくれる人が増えるのではないか…
自分の中にある「カッコいい」を言葉にしてみよう。

「カッコいい」と「恰好がいい」
「カッコいい」を辞書で調べると
姿、形、様子などがすぐれていて好ましい。見栄えがよい。
外見のカッコよさについて書かれている。
「カッコいい」の語源となる言葉に「恰好」がある。
恰好の意味は
あるものとあるものがうまく調和する。ちょうどいい。ピッタリ。
こちらの意味だと外見のカッコよさでもあるが、内面的なカッコよさもあらわしているのではないか。
人が「カッコいい」という時には2種類の意味が込められていると思う。
外見(見た目)のカッコよさと内面(生き様、考え方)のカッコよさ。
外見だけをカッコいいと思う時もあれば、内面だけをカッコいいと思う時もある。
外見と内面どちらもカッコいいと思う時だってある。
ONEPIECEのサンジ
僕が「カッコいい」と思うものの1つが、紳士(ジェントルマン)だ。
記憶を辿ると、最初に紳士を「カッコいい」と思ったのはONEPIECEのサンジ。
サンジは料理人。手は料理をするために使うもので、人を傷つけるためには使わない。と、戦闘は足技で行っている。
「たとえ死んでも、おれは女は蹴らん…!!!」と、敵であっても女性を絶対に傷つけることはしない。
自分のルールを守っているところが「カッコいい」。
自分が決めたこと通している感じ。
生き様(内面)をカッコいいと思っている。
一方で、サンジはスーツを着ている。
僕はスーツ(外見)もカッコいいと思っている。
ただ、最初からスーツをカッコいいと思っていたのか…
サンジを知る前からスーツをカッコいいと思っていたのか…分からない。
サンジの生き様をカッコいいと思ったから、サンジが着ていたスーツをカッコいいと思ったのではないか…
そんな気がしている。
内面のカッコよさが外見のカッコよさにつながる。
逆に外見のカッコよさから入って内面もカッコいいと感じることもある。
スーツの例で言えば、耳をすばせばのバロンや呪術回戦の七海さん。
スーツをカッコよく着こなしている人(キャラ)に何となく惹かれていしまう。生き様や考え方がカッコいいと思うことが多い。
外見のカッコいいと内面のカッコいいはお互いが影響し合い、行き来するんだと思う。
自分基準と他人基準
「カッコいい」を考える上で、外見と内面の他にもう一つ基準がある。
自分基準なのか他人基準なのか。
他人が「カッコいい」と言っているから、それを「カッコいい」と思うのが他人基準のカッコよさ。世間で「カッコいい」とされているもの。
他人基準の「カッコいい」にはカッコ悪いと思われたくないが裏側にある気がしている。
かっこよくない = カッコ悪い
カッコ悪くない ≠ カッコいい
カッコ悪く思われたくないという選択の仕方は「カッコいい」とは言えない。
他人基準の「カッコいい」は流行だとも言える。
例えば…流行色は2年前から、この色にしようという検討が始まり決められていたりする。
流行は世間で作り上げられていくもの。メディアが作り上げた「カッコいい」。
この前までカッコいいとされていたものが、流行じゃないからカッコよくないとされてしまう…
ものを売るために作られた「カッコいい」だという気がして、あまり好きではない。
ただ、自分の作品を多くの人に届けるとなった時に「流行に乗らない」という選択はどうなのか…と思うところはある。
でも、売るために流行に乗る選択はカッコよくないと思っている自分もいる。
自分だけの美学
自分の作品に込めている「カッコいい」としては、木に着色はしないというルール(制限)を設けている。
直接的に「カッコいい」に繋がるのか…と言われると分からない。
着色をしてしまうと、その木を使う理由が無くなってしまう気がしている。
木の色を活かして、組み合わせて作品をつくるということは、こだわって大切にしている。
自分が決めたルールを守るカッコよさ、自分だけが知っているものを貫くカッコよさがあると思っている。自分だけの美学。
そこに自分の意志があるものは「カッコいい」。
カフリンクスやネクタイピンも自分だけの美学に近いものがあると思っている。
スーツを着るときに着けなくてもいいもの。わざわざ手間をかけて着けている。
特にカフリンクスは他人からほとんど見えない。
誰かに見せつけるために身に付けるのではない、自分が付けたいから付ける。自分だけが知っている美学みたいなものがある気がする。
「カッコいい」の循環
こうなったらいいな…という「カッコいい」として、「カッコいい」の循環がある。
自分の作品を「カッコいい」と思って見つけて購入してもらい、その人にとって作品が「恰好がいい」ものになれたら嬉しい。
その人にとってちょうどいいもの、ピッタリと感じてくれるもの。
またその後、作品を身に付けてくれた人を見た別の人がそれを「カッコいい」と思ってくれる。
「カッコいい」→「恰好がいい」→「カッコいい」の循環が生まれる作品をつくって届けられたらな…と。
Podcastで話したことを書いてみたけど、話し言葉を書き言葉にするのは難しいな…
今年のテーマ「半歩外へ」で、やってみたいと書いたPodcast。
始めてみたので、よかったら聴いてみてください。